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劇場版「ソードアート・オンライン」で思うクール・ジャパンの危うさ [映画評]

劇場版ソードアート・オンライン オーディナル・スケール」が好調な興行を続けているようだ。
コアなファンを持つ作品は、初週にどっと客を入れ、その後は急激に下がるのがパターンだが、公開から3週を経過しても客足は衰えていないようだ。

私はソードアート・オンライン(SAO)についてはまったくの部外者だが、楽しみに観に行った。
海外でも人気の高い作品ということで、世界に通じる一本になっていることを期待した。
しかし、がっかりであった。
とてもではないが、傑作と呼べる作品ではないし、胸を張って世界に売れるともまったく感じられなかった。
何より、伝わってくるものがなかった。
だから、お客さんが入っていると聞いても、嬉しい気持ちにはなれない。

私は、ディズニー映画があまり好きではない。
万人受けを狙うために常に予定調和であるし、
商業主義が強過ぎるようにも感じるからである。
それでも、個々の作品にはうならせられる。
インサイド・ヘッド」や「ズートピア」を観ると、脚本の練られ方は半端なく、とんでもないくらいに考え抜かれたものであろうと思う。
選び抜かれた天才たちが、さらにギリギリまで頭を絞っているのだろう。
そして、あれが、世界基準なのだと感じる。

日本のアニメは世界一と言う人は多いし、私もそう思う。
質も量も多様性も、日本のアニメはすごい。
しかし、こと映画となると、どうだろう。
SAOの脚本はどれくらい練られたのだろう。
世界基準を意識して作られただろうか。
ファンの審美眼は甘過ぎはしないだろうか。

クール・ジャパンをもてはやすのもいいが、質を上げていかないと内輪で盛り上がっているだけということになりかねない。
質を上げるためにはどうしたらいいかということも考える必要がある。
SAOを観てからしばらく経って、そんな不安を覚えている。

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